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つつんで、ひらいて Comments (7)
装幀者・菊池信義を追うドキュメンタリーは、まさに装幀との出会いである。1mmの単位で調整される文字間。繊細な紙質。タロットをめくるように広げられる色見本。コンパスと三角定規。菊池は紙に文字を貼り付けて調整してゆく。タイポグラフィの繊細さを間近に見られる貴重な機会だ。
「装幀は本の身体だ」と菊池は云う。装幀は服なのかと漠然と思っていたが、装幀はその本の肉体なのか。本文が精神なのかもしれない。装幀という身体に本文という魂が入る。
本という紙媒体は、沢山の人びとの手を通じてつくられてゆく。まず作者がいる。この作品は装幀者の話なので出てこないが、編集者が、校正者が、文をみがく。装幀者が身体を「拵える」(菊池はデザインを「拵える」と表現した)。その身体をデータに落とし込み、紙が用意され、デザインの意図する形に印刷し、製本する。手作業の製本シーンや、印刷の色の微調整のシーン。職人を観ている、と感じる。
多くの文芸書を装幀するたびに「空っぽになる」という菊池。あまりに多くの魂に触れた結果の混沌。それは「達成感のなさ」にも通じると感じた。本人は「傲慢」と自嘲するが、恐らくいつまでも到達できないものなのだろう。
校正の勉強をしていたので、本がつくられる過程も興味深かった。全ての部分にひとの手が、目がこもっているもの。ひとつの芸術作品でもある。
私は電子書籍でふだん本を読んでいる。本棚に入りきらないのと、時折安く買えるというのがその理由だ。実用性、それは明らかに電子書籍が上回る部分がある。フォントを大きくしたり、ダークモードにしたり。
しかし、この先の遠い未来、残るのは紙の書籍ではないかと思う。データは私たちが思うより脆い。紙は、残る。製造中止になった紙が本のカバーとして残るように、紙に印刷されたものは、きっと未来に残り続けるし、私たちが残してゆく道筋をつけないといけないのだ。
本屋に寄って、美しい装幀の本を見つめるときの幸福感を、まだまだ味わっていたい。
ドキュメンタリー映画としては、ナレーションを廃し、テロップを画面の邪魔にならないように抑えていて(テロップデザインは、菊池信義の弟子の水戸部功であった)、均整のとれた美しさを感じた。映画的な映像のざらつきを残した映像にもある種の「残してゆきたいもの」を感じる。願わくば、もう少し音声が良いとよかったのだけれど。特に広瀬監督の声。
最後に些末なことを。やはりデザイナーはアーロンチェアなんだな、と思った。