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くじらびと Comments (20)
年に鯨が十頭捕れれば村全体が食べていけるラマレラ村。そこにはけして贅沢ではない、慎ましやかな暮らしがあった。
鯨の巨躯に身ひとつで挑む銛打ちのラマファ。鯨の体に全体重をかけ勢いつけて銛を打ち込むその衝撃は相当なものだ。打ち込む瞬間身を引くことにより自身への衝撃を逃がす、それを仕損じたがために痛めた肩の腱が胸にまでおよび命を落とした者もいるという。
漁のために乗り込むのは鯨の尾ひれの一振りで粉砕されるようなテナという手作りの舟、ともすれば銛を打ち込んだ鯨に海中へと引きずり込まれることもある。そんな漁の危険は鯨漁に限らず鯨の数十分の一の大きさのマンタ漁でも同じだ。
ラマファのベンジャミンはマンタに絡まった網で海中に引きずりこまれてしまい、結局彼の遺体は見つからなかった。彼の亡骸は海底で魚の食料となる。捕るもの捕られるもの、そこには差はない、まさに命の交換が行われているかのようだ。
鉄でできた鯨の何倍もの巨大な捕鯨船がロケットのような銛を撃ち込みウインチで鯨を巻き上げる。そんな近代的な安全な漁ではない、まさに生きるための命懸けの漁がここでは行われている。
ラマファのピスドネは言う。バリにいた頃は確かに豊かな生活ができた。しかし常にお金に追われる毎日だったと。ここでの暮らしは鯨さえ捕れれば食べていける、生きるためにお金は必要ないと。まさに資本主義を根底からくつがえす言葉だ。
自然の恵みに感謝し、その恵みを授かるだけの漁は生態系を破壊することはない。それは食物連鎖の一環だからだ。しかし富を得るための漁となるとそれは産業となりたちまち乱獲により生態系は破壊される。これまで資本主義に基づく人間の欲望に任せた行為が生態系を破壊し、自然環境を破壊してきた。今や人類はそのしっぺ返しを喰らっている。
資本主義の最たる都市ニューヨークの先日の洪水被害はまさにそれを象徴する出来事だ。もはや地球環境は資本主義には耐えられないところまで来ている。
ただ自分達が食べるだけの最低限しか捕らない、そんなラマレラの営みこそが人間にとって相応の生き方ではないかと考えさせられる。
クライマックスでの鯨漁のシーンはまさに圧巻で、撮影者自身テナに乗り込み命懸けの撮影に臨んだだけのことがあった。またドローンによるダイナミックで美しい映像も素晴らしい。
本作はその映像だけではなく、人の生き方への問題提起にもなっており、他のレビュアーの方たちが言うようにより多くの人に鑑賞してもらいたい作品。
神に祈りを捧げ、言い伝えを守りながら400年続く銛一本で鯨を獲る。その鯨を捕獲する時の男たちと鯨との死闘は迫力がありスクリーンに引き込まれた。
それは撮影の仕方にも凄さを感じる。船の上、上空、また海中といろんな目線からその姿が垣間見える。
作り物の作品とは違う、ドキュメンタリーならではの作品。
そして青くきれいな海原、暮らす人々の感情、音楽からも全てが心に残る作品だと思う。
迫力ある音と映像で、その場にいるような臨場感、ハラハラドキドキの展開に引き込まれて、あっという間の2時間。
木造船の手漕ぎで鯨に立ち向かうシーンのカメラワークは見応えあり。
本作のテーマの一つを表現した、ラストのノーカットロングシーンは、深く心に刻まれた。
もう一度観たいと思える逸品。
マンタもクジラも人間もみんな必死に生きようとしている。彼らの生き様が胸を打つ。
太地ではセミクジラが多かったと聞くが…。
捕鯨問題は賛否両論あるのは承知しているが、責任と権利(領海)という範疇の中でやっているものに他人がとやかく言うべき問題ではないと思う。
持続させる責任を負負わなければ、どれだけ存続させたくても、出来ない話なんだから…。
我が国のように伝統とか文化で権利を主張するのなら、それこそ船外機もクレモナロープ?も使わないことだけど、時々映っていたスマートフォンを持つ人を見るにつけて、それを実現することは厳しいのかなぁ…とも思った。
そして、GPやSSは、彼らにはお目こぼしなんだろうなぁ…。
捕ってる数が少ないから?
まあ、結局、最後の「鯨に感謝する」に集約するんだろうなぁ…と思った。
考えさせられました。