郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946)
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郵便配達は二度ベルを鳴らす(1942) Comments (4)
二転三転がなかなか楽しい。
そりゃあラナ・ターナーに言い寄られたらイチコロだ。
実際、プライベートでは大物ばかり浮名を欲しいままにしたとか。
タイトルは、居留守使っても郵便配達員はわかってるから、二度鳴らすってことなのね。
そんでもってタイトルがらみでもうひとつ不思議だったのは、えっとどこに郵便配達が出てくるの?という疑問。映画史への無知を曝すようで恥ずかしいのですが、私、ずっとこの映画、郵便屋さんの話だと思ってましたよ。でまぁ、郵便屋さんは出てこないわけで、タイトルの理由はネットなんかで調べてください。
この映画、私にとっては、ずっと観ようと思いつつ、ずっと観ていなかった映画のひとつなんですね。なんだろう、観たいという気持ちよりも、観なくてはいけない、という責務みたいなものが背景にあるからでしょうかね。有名だし、観とかなきゃ、みたいな。そういう義務感が、どうにも手に取ることをためらわせてきたわけです。
で、観てみたのですが、うん、たしかにネオレアリズモ感がすごいですね。なんていうか、1942年ですよ、この映画の公開。ドイツ・日本との三国同盟が1940年、そんでムッソリーニ退陣が1943年、そんな激動の中でこの映画作って公開してるって、どんだけ気概に溢れていたんだって感じがしますよね。映画魂か、はたまたヴィスコンティのうなるようなお金か。それでもって、この映画のこのテーマですよ。デ・シーカとかの時代状況を反映させた社会派的な感じでもなく、やっぱり愛、それも性愛ですもんね、ヴィスコンティってこういう作家なんだなぁ、とか感じちゃいましたね。
グッとくるというほどの感じはなかったんですが、やっぱりこの時代にこの映画、という文脈のもつ重みはすごかったですね。
冒頭、トラックから降りて店に入るジーノの撮り方がいい。かっこよく映画が始まるかんじ。
もう我慢できない!とあっさり夫を殺すも、かなり凹むジーノが面白い。人を殺しておいてあの規模のパーティを開いたせいで、ジーノがひきこもってしまうのがかわいそう、と思うと親友を見つけて顔を輝かせるジーノがかわいい。
お金と子どもと新しい生活が始まるところで事故死という、捉え方によればひどいオチ。
ジーノの泣き顔でthe endというところはセンスがいいと思った。今までジーノが見たこと感じたことしてきたことと何の関係もない終わりがやってきた感じ。どうしようもない感じ。バッドエンドともちょっと違う。
ラストで二人が逃げ切れたら幸せになれたかな?あの二人ならなれたかもと思う、、 ジョバンナはしっかりしてるし。ジーノは嫉妬深いし。
合衆国で撮られたガーネット版は、卑劣な男女に反感を持つ観客を、ラストで一気に主人公への同情に反転させる演出が冴えている。
このビスコンティ版には、最初から最後まで男の優柔不断なダメぶりにつき合わされる。観客が自分の内面の変化に驚くという感動はない。